知識の血肉化
小学生Kさんの学習に進展が見られてきました。
Kさんの親御さんが、「この子には理解力がないかもしれません」と
たいへん心配なされたのが入塾の動機でした。
家庭学習ではいろいろ試され、時間をかけられたようです。
しかし、田中が観察してみると、個性的なペースこそはありますが、全く能力的な危惧は感じられません。
想像すると、大人が期待する理解の速度と実際の子どものそれとにギャップがあったと思われます。
ご家庭で親御さんが教える際「何でこんなこともわからないのか?」
「何でこんなミスをするのか?」と、最後は感情的になり、子どもの方は「親は怒ってばかりで、よくわからない」と親子げんかが始まることがあります。
学年によっては子どもの習熟のスピードは想像以上に遅いです。
そのための必要な繰り返しの回数は、非常に多いものです。
教える側がこれを的確に把握するのはなかなか難しいことです。
田中は、子どもはなかなか理解してくれないものであると、
そして、一時的に理解しても定着しなければ意味はない、と考えています。
ですので、本当にわかるまで同じ説明を十数回します。
子どもが同じ数だけ忘れても、粛々と繰り返し作業のように教え続けます。
それでもうまくいかなければ、異なる解き方で何度でもアプローチを変えてみます。
そのあと突然子どもは、「先生、わかりました。」と目を輝かせてくれます。
そうなるとしめたもので、本当の血となり肉となった知識として定着します。
それは何年かたって忘れたとしても、潜在的に残っていますので、引き出すにはたいして労力はいりません。
自転車の乗り方を一度マスターすれば、どんなに間をおいても身体は覚えているということと同じです。