「ない」ことの証明
先日の数学の授業中、Qさんが興味深いですが、珍奇ともいえる発想をしましたので紹介します。
数年に一人は同じような発想をします。
論理の間違いを気づかせるには、いろいろなたとえを使って話をします。
発端は「25は5の倍数ですか?そういえる理由も考えて下さい。」という田中の問いです。
いろいろな考えや表現がありますが、子どもたちに多い答えは、
「5で割りきれるから、5の倍数です。」や
「25は5に5をかけた数だからです」などです。
ところが、Qさんは、「25は2,4,6,8,・・・18,20・・・と書いてみても、
2の倍数ではありませんし、3,6,9,・・・21,24,27・・・と書いてみても、
3の倍数ではありませんし4,8,12,16,20,24,28と書いてみても4の倍数でもない。
ですから、5の倍数です。」
一生懸命に数を書き連ねたQさんをほめながらも、田中はこういいます。
「でもね。『ない』から『ある』ということにはならないよ。」
こういわれても子どもは、きょとんとするだけです。
「例えばね。河童っている?」と田中。Qさんは、
「いないと思います。」
「それなら、いないことを証明してみて。」と田中は尋ねます。
「見たことないですし。本にも載っていないし、動物園にもいないし。」
「気がつかないかな?『ない』ことは証明できないんだよ。
だって世界中を隅から隅まで調べることは不可能だし、
仮に調べ尽くしたとしても、全宇宙を調べたことにならないし。」
「そうかもしれませんが。それなら河童はいることになりますか。」
Qさんからもっともな問いが返ってきました。
「いや、『ない』から『ある』わけではないのね。つまり河童がいないと証明できないから河童がいるということにはならない。
そういう論理だと、口さけ女もネッシーもデスノートも『ある』ことになってしまう。
『ある』ことを証明したいのなら、『ある』ことを示せばいい。
河童を一匹連れてくればいい。
『ない』ことをいくら示しても『ある』ことにならないのよ。」
「このことには『悪魔の証明』という名前が付いているんだよ。
興味があるなら調べてごらん。」
学校の成績や順位とは関係ない事柄ですが、身につけておかせたい論理思考です。