やればできる子
「やればできる」と先生方から評価されている子どもがいます。
田中は子どもにそう評価することはありません。
なぜなら、全ての子どもは「やればできる」からです。
そして本人はほめられた気になっていますが、裏を返せば「宝のもちぐされ」という揶揄や、努力をしていない「怠け者である」というニュアンスもあるからです。
数多くそう言われた子どもたちを観察していると、同じパターンが見られます。
だいたいにおいて自尊心だけは強く、幼児性を脱していないので、「本気になれば簡単だ」と甘い幻想を持っています。
その可能性の幻想の中にとどまる傾向があり、実際に腰を上げることはなかなかありません。
また「器用貧乏」の面も見られます。
それでも無理矢理にも勉強をさせると、自分が考えていたほどうまくいかず後ずさりし始めます。
そしてまた、居心地のいい場所、つまり永遠の「やればできる」子に戻ってしまいます。
ゲームの中に没入するタイプの子どもと相似形かもしれません。
対処法としては、ゆっくりと現実の姿を見せることから始めなければなりません。
その姿がどんなに惨めで情けなくとも、直視させます。
周りとしてはその姿やこれまでのことを否定することなく、一緒に見届ける態度が必要でしょうか。
学習の進む速度も本人が考えているほど、たとえるなら魔法をかけられて突然「できる子」に進化するわけではないので、イライラしたり簡単に投げ出すそぶりを見せることもあります。
そのような場合は、追いつめることなく軽い緩衝を入れるのが得策です。
導く側としても忍耐と根気は必要で、「3歩進んで2歩下がる」どころか
「3歩進んで4歩下がる」ことも予期して子どもを見守らなければなりません。
故に、 学校や習い事の先生から「やればできるんですけどね~」などご指摘をいただいた場合、それはほめ言葉ではありません。