自分のせいではない
年度がわりのこの時期には、卒塾生たちが近況を報告に来てくれます。
学校の成績などから進学、就職、転職、結婚などの人生の転機など様々です。
その一人を紹介します。
高校生のRさんが、もらったばかりの成績表を見せに来てくれました。
相当な好成績です。
本人のうれしそうな顔は、こぼれんばかりです。
生徒会などの執行部の仕事などもこなし、充実した高校生活を過ごしているようです。
来年は大学受験を目指しやる気満々、将来のビジョンを含めた計画も語ってくれました。
Rさん、何という好青年に成長したことでしょう。
お預かりした頃のRさんのことを思い出しました。
成績は低位、お母さんがすがる気持ちで塾の門をたたいてきました。
学習能力が劣っているわけではないのですが、習う姿勢や聞く耳が全くない子でした。
反抗的な気質が原因ではないので、なおさらやっかいでした。
自分の考えや行動はいつも正しいと考えていました。
自己中心的性格の極度に強い子でした。
ですから、成績が悪い理由を自分以外のものに押しつけていました。
「先生の教え方が悪いせいだ」
「教科書がわかりにくいせいだ」
「親の遺伝のせいだ」
「勉強部屋のせいだ」
「運が悪いせいだ」
「育った環境が悪かったせいだ」
田中の造語では、このようなタイプを「せいだ病の子」と呼びます。
「蝶よ花よ」と甘やかされた子や、人と交わる社会性の機会が少なかった子に多いような気がします。
対処法は、「もしかしたら自分のせいかもしれない」と気づかせ、「他人のアドバイスを聞いてみようかな」、とりあえず「いろいろ素直に従ってみようかな」と徐々に自己改革を促すことです。
しかし、一筋縄には行きません。
無駄ではないですが、言葉による説得や強く叱ることは全く通用しないタイプです。
田中は、「せいだ病の子」に対しては長期戦の覚悟をします。
当初は子どもの言い分を100パーセント同調することから始めます。
感情を抜きに、冷静を保ち、
「ふんふん、あなたの言うとおりだね」と、一度全てを取り込んで認めてしまいます。
敵ではないことを伝えて、安心感、信頼感を築くことから始めます。
対話の土台作りからです。
そして徐々に、「ふんふん、その通りだけれど、ここだけは違うような気がするね」と90パーセント譲り、10パーセントはこちら側の意見を混ぜます。
さらに「なるほどそうとも言えるけれど、こういう考えもあるね」とじわじわとこちらの意見に耳を傾かせます。
自分の姿や考えを客観的に吟味でき、他者のそれらを認める視点を育ませます。しかし目に見える改善までには相当な時間がかかりますので、途中で「みんな田中のせいだ」と捨てゼリフをはいて離れる子もいます。
Rさんの親御さんと田中で、しばしば進捗状況を報告してきたのは幸いでした。
成績順位に大きな変動は見られませんでしたが、
将来を見通して手作業でていねいに解く「計算力」と辛抱強く考える「思考力」は徹底させました。
それが今では機が熟し、花開くときになりました。
Rさんが帰り際にひと言、
「先生、高校生活が楽しいです。ありがとうございました。」
田中は返答できませんでしたが、
「Rさん、こちらこそありがとうね。」という気持ちでいっぱいですよ。教師冥利に尽きる経験をさせてくれたのよ。