田中の失敗③
今回の失敗は「子どもたちに無駄な勉強をさせすぎた」という話です。
「失敗」と言うより「未熟」から来るものです。
田中塾を開設したのは、もう20年も前です。
学生時代終了後すぐの開塾でした。
18歳の春からアルバイトとして塾の教壇に立っていましたので、各教科を教える経験と自信はありました。
しかし、自分の経営する塾で長期間子ども預かり、総合的に受験指導をすることには未経験であり、責任とプレッシャーは重いものでした。
当初田中ができることは、情熱を持って、厳しく、大量に勉強をさせることしかありませんでした。
現在とは異なり、授業開始時刻を分単位で設定していて、厳格に子どもを管理していました。
少しでも遅れると何かしらの罰を与えていました。
このころの子どもたちは、学校終了後、着替えたりシャワーを浴びたり食事をする余裕なく、吹っ飛ぶように塾に駆けつけてきました。
宿題の量も多く、成績管理は厳密でした。
宿題を忘れるものなら大変で、体育会系の罰が待っていました。
田中が 保護者に「家での学習はどうなっているのですか?」とクレームを付けたことも多々でした。
授業時間は長く、午後10時位になると「お帰り問題」というのを全員に配り、できた子どもから帰宅させていました。
みんな必死です。
なぜなら30分以内に終わらないと次の日は、「呼び出し」をかけられてしまうからです。
規定時刻間際になると、泣き出す子どもがいました。
この学習方法では、短期間で成績が上がる子がいますが、
それは瞬間的なもので、長いタームで見ると労力の割には得るものが少ないです。
それに気がついた後は少しずつ勉強以外の管理を外し、子どもの無駄な学習負担を減らしていきました。
結果的に子どもに余力が生まれますので、のびのび学習できるようになります。
教師として未熟な時は、学習効率というものを考えることができず、
補うためには、「量」と「情熱」しかなかったのです。
無茶な量の宿題をポンと出して「明日までやって来なさい」など平然と課しました。
根性試しや受験生としての自覚を促す洗脳以外の用を足さなかったかもしれません。
また、よく「暗記しなさい」と子どもに命令しました。
教える力量がない教師ほど、体系的に理解させられないのでそう言います。
今振り返ると、当時の子どもにはずいぶん非効率な指導で、いろいろ時間やエネルギーを浪費をさせたと申しわけない気がします。
しかし、皮肉なことに田中塾は熱心な塾として知られるようになりました。
また、そのような雰囲気だったからでしょうか、塾生は男の子ばかりで、
「田中男塾」という別名も頂戴していました。
現在では試行錯誤を重ねた結果、ひとつの到達点に立てた思っています。
各子どもに対して、どのくらいの量を、どのタイミングで、どれくらいのスピードで教えればより効率がよく負担が少ないかを、経験上体得することができました。
確かに「緊張」「恐怖」「競争」のムードは即効性があり、それらの場に適する子どもはいます。
しかし苦手な子どもには、能力向上を阻害することもあるので、取り扱いには注意が必要です。
しかし田中の教育理論・方法論もまだまだ未熟です。
改良の方向性は見えているつもりです。
いっそうの精進と時間を日々費やしたいと思っています。