10年越しの合格発表

昨月下旬のある日、看護士国家資格試験の発表がありました。

夕方Sさんが5年ぶりに塾に来ました。

「先生、やっと正看の資格が取れました!」と満面の笑みで報告にしてくれました。

「ついでですが、この子は私の子どもです。」と恥ずかしそうに、かわいい赤ちゃんを抱いていました。

「合格したら、絶対一番先に田中先生に報告に来ようと思っていました。」

Sさんの感激は痛いくらいに伝わります。

これまで公私に渡り苦労して来た子です。

田中がSさんに初めてあったのは、中学にあがったばかりの春でした。

お兄ちゃんも田中塾に通っていたので、そろそろ妹も通塾させようということでした。

兄は「先生、妹もよろしくお願いします」と、頭を下げて塾に連れてきました。

ところが、直後に父親が急逝するという悲劇が起こってしまいました。

柏の葬儀場で、真新しい制服を着て小さく泣いているSさんの姿は、未だに脳裏を離れません。

その後3年間、Sさんは塾に通いました。

細かいことに気がきく、情の深い子で、コツコツ勉強してきました。

順調に学力も上がっていきました。

ところが、高校受験の半年前くらいから精神的に難しい時期に突入してしまいました。

典型的な思春期ですが、自分でも制御ができないレベルでした。

受験校選びでは、親御さんや周りの忠告に耳を傾けませんでした。

田中が「この学校は無理だろうね。」という高校の受験に執着しました。

Sさんは、「自分の受験ですから自分で決めます。責任も取ります」ときっぱりと言い切りました。

結果は不合格。

滑り止め校を受験していないので、進学する学校がありません。

それから、二次募集のために塾で猛勉強をしました。

後にも先にも二次募集で進学したのは、Sさんだけです。

それから高校を卒業して何年かたった頃に、Sさんは塾のドアを再びたたきました。

「先生、看護学校に入学するために、もう一度数学と英語を教えて下さい」

聞くと何となく高校を卒業し、何となく専門学校に入り、

そのまま社会に出たものの、自分の人生と将来に不安を感じたそうです。

子どもの頃の夢だった「看護士」になりたい、

また資格を習得して職業人として自立したい、と強く思ったそうです。

もう一つの動機に母親の体調が思わしくないというのもありました。

学生だった頃に勉強をないがしろにしてきた自分に、大きな後悔もしています。

そして、昼間の時間に田中と看護学校合格を目指して、再び勉強することになりました。

時間的ギャップがありましたが、勉強に対する基本は中学で徹底的に身につけさせてありましたので、その基礎にもう一度応用を乗せるだけです。

さらに真剣度と集中力は、以前とは格段に違いますので、真綿が水を吸収するように学習は進んでいきました。

この調子なら受験に間に合うだろうと思っていた矢先、今度はSさん自身に大きなトラブルに巻き込まれまてしまいます。

詳細は語れませんが、学習は中断、その年の看護学校受験もあきらめざるを得なくなりました。

「勉強したいときに、勉強できることは幸せなことですね。」

しかしSさんはあきらめず、仕事をしながら勉強を続け、念願の看護士の資格を手に入れました。並大抵の努力ではなかったでしょう。

そして近隣の病院に就職も決まりました。

Sさんのように世間の荒波に飲まれた末に、再チャレンジを決意し、

看護士の資格を手に入れられた卒塾生は3人目です。

田中塾の特別講座です。

 

2018年11月25日