体罰について

先日Sさんらに「田中先生は体罰をどう思いますか?」と尋ねられました。

学校で何かあったのでしょうか。

「そうね。昔はよく手をあげたものだよ。

遅刻すれば、バシッ!

宿題忘れたら、バシッ、バシッ!」と。

「暴力先生だったのですね。」とおびえるようなまなざしでした。

誇張はあるものの、「体罰=教育」として世間で認められ、教える側のテクニックであった頃がありました。

要所を心得て「体罰」を行える先生は熱心な先生で、信頼も厚いものでした。

教師仲間ではケガをさせない、跡を残さない、しかし打音は大きく効果的な方法を研究し情報交換し合ったものです。

保護者の中には「先生、よくぞ我が子を殴ってくれました。ひとさまに叱られて子どもも目が覚めたようです。」と、感謝いただいたこともしばしばです。

しかしそれも今は昔です。

1990年過ぎた頃から「体罰=暴力」の構図ができ、保護者や子どもの反感の対象になりました。

体罰の技術を持たない教師が、感情的に教育的配慮なく一発行使し、たんに子どもにダメージを与えるだけの後味の悪い事件が数々ありました。

また、子ども自身がご家庭や地域で体罰を受ける機会がないので、あまりにもパニックになり、教育の手段として通用しなくなったのもその理由でしょう。

現在通塾のMさんのお父さんから「障害が残らない程度にお願いします。」と託されています。

田中はもう手をあげることはありませんが、ありがたい言葉をいただいたと思っています。

 

2018年11月25日